政治教育という言葉

政治教育という言葉
例えば日本の政治について授業でやる場合、要するによく聞くのが「今の安倍政権は良くない」という先生自身の考えを子供たちに押し付けちゃう。
日本の民主主義については一応経済の教科書や社会科の教科書で教えるんだけど、何か子供が図を見てその中の用語だけ見てお終いみたいな世界じゃないですか。
そうじゃなくてもう少し教師自身が自分の思想を教えるのではなくて例えば「私たちは投票しますが、投票するときに何を見て決めるのかと言えば」という風に自分の経験としてきちんとそういうことが教えられる人間をまず教師として登用することが必要だと思う。

それから公平中立を担保するというのは放送も含めてかなり難しいところがある。
ですから一つは教壇に立つ人間がやっぱりもう少し色んな意味で謙虚である必要があって、「自分は自分の体験を踏まえてこのように皆さんに話をするんだけど、これが全てではないから家に帰ってお父さんお母さんの話を聞いてみなさい」とか、そういう風な余地をきちんと子供に対して与えるということが大事なんですよね。
「自分の言ってる事が絶対なんだ」或いは「正義なんだ」という形で教えてしまうのが一番ダメだと思う。

ベトナム戦争があった時代、日本国内の論調は物凄く左だったし学校現場も日教組が強くて物凄く左だった。
そういう先生たちがドッと現場に出てきて社会科なんかを教える。
そうすると例えばベトナムで戦争してました、そして終わりました。
こちら側が勝ちました、そしてベトナムは社会主義の国になりますよ。
「これで素晴らしい国になります」という風に教えるわけですよ。
つまり社会主義になるって事は素晴らしい国になって正義が勝ったんだという風に教える。
或いは日本に対しても非常に「悪い事をしてたから原爆落とされたんだ」みたいな、そういうストーリーで教えてくる。
それが何となくおかしいなと思える子供というのは周りに居る爺さん婆さん、親も含めてみんな戦前生まれだからリアルな時代を知ってる。
その子の父親だって大阪で大空襲に遭った世代ですから。
そういう話とちょっと違うなというのがあってその子は自分で父親に聞いてみた。
「学校の先生からこういう事言われたんだけど?」すると父親は「今の世情がそうだからしゃあないな」という感じで「それは違う違う」と修正してくれる。
だから子供に修正の機会を与えたり、自分で考える力を付けさせるために「私は教師として精いっぱいの事を教えるけどそれが全てではない」という事を教えるのがまず大事なんじゃないかな。
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