ナン

ナン
結構好きな方多いでしょ?
日本人ってなんであんなにナンが好きなんでしょうね?
もしかして聞いたことあるかもしれませんが、インド人はあまりナンを食べない。
ナンはあまりメジャーなものではない。
特に家庭料理においてあまりナンを食べるという事は無い。
何故このナンが日本ではこんなにメジャーなのか?
最近東京にはインド系の人が増えているし、インド料理の小さいレストランも物凄く増えている。
でもそもそも日本にはあまりインド人街は無い。
日本の印僑の方々というのは神戸、横浜、東京圏にもそれなりに居ましたけどそんなに多くはない中でどういう人たちが来ているか?
日本には他のアジア圏に居る人とは違う人が来てる。
元々印僑の人たちというのは大体南の人が多い。
イギリスの植民地時代にタミル人という南の方に居る人たちが大勢外に出て行って今の印僑と言われている人たちになった。
例えばシンガポールに行くとリトルインディアというインド人街があるんですがそこに行くとインドの言葉で看板が沢山出ている。
インドの第一公用語のヒンディー語で書いてあれば一応読めるんですけど全然読めない。
それはタミル語という全く違う言語、全く違う文字で書かれているから全然読めない。
そういったアジア一円と太平洋地域、或いはアフリカの一部も含めて印僑として世界に散らばった人たちというのはタミル人が多いんですけど日本にはほとんどタミル人が居ない。
日本に来てる人は割合北の方の人が多い。
だからと言って北の人も家でそうそうナンを食べるという事も無いんですが、でも比較的ナンに近いところ。
というのはナンは小麦粉です。
インドの場合北の方の人が大体小麦粉のああいったナンとか、或いは揚げパンみたいなものとか、チャパティーといって丸めて平べったくしたものとか、そういうものを食べる。
小麦が採れる地域だから。

南の人は何を食べているのかというとご飯、お米です。
お米が採れるから米のご飯にカレーを付けて食べるか、さもなければお米の粉でクレープみたいなものを焼いて、ドーサと言うんですけどそれを食べる。
最近はドーサを売ってるお店も日本に結構出てきました。
というのは最近ようやく南インドの人が随分増えてきたから。
そういう様な違いがあって、日本に古くから時々来ているインドの人というのは必ずしも世界に流れていった印僑の人達とはちょっと違う人たち。
そして日本に来たわけじゃないけど日本に来たことのあるインド人の中には例えばパール判事もそうだったり、チャンドラボースもそうだったりするようにベンガルの人だったり、インドの一番主たる地域とは違う所からのご出身の方なんかも日本に結構縁があったりする。

日本で最初の頃に開かれたインドのレストランの中では恐らく料理人に北の方の人が居たんでしょう。
もてなしたりするときにはタンドールという窯の中にナンを張り付けて焼いたりするので、まあそういうものを出すという事がメインになってきてそれがたまたま「インド料理とはこういうものなんだ」という風にして広がり、今じゃインスタントでも売っている。
インスタントというかスーパーに行くとナンが売っていて、それを温めればそのまま食べられるみたいな感じになってる。

南のタミルの人たちがなぜ世界中に流れていったのか?
そもそもイギリスの植民地時代にはディバイドアンドコンカー(分割統治)をした。
要するに多くのインドにおける民族、或いは違う言葉をしゃべっている人たちを出来るだけ分断したし、カースト制度そのものもイギリスの植民地下においてより身分が違う人たちの差が大きくなったと言われている。
特に南のタミルの人たちというのはそれまでのインドの中の主流とはちょっと違う。
どうしても北インドの方に中心があるから。

この南のタミルの人たちをあえてイギリスが植民地下において徴用したんです。
この人たちに要するに自分たちの一番近しい手伝いみたいな事をさせたり・・・
分かります?
実に手口が悪辣。
つまりインドの中での、人口が少ないわけじゃないからマイノリティーとも言い切れないけど反主流と言ったらいいのか、主流でない人たちにあえてそういう、自分たちに一番近しい仕事みたいな事をさせた。
イギリスは世界中にそういう植民地を持ってました。
そういうところに行かせたんです要するに。
自分たちから流れていったというよりは行かせた。
そういうタミルの人たちが世界中でネットワークを築いて、今や色んな商売をしたりしてる。
ですから外からタミルの人たちにお金が入る。
そういう中でタミル人はそれなりに元気もいいし、場合によっては隣りのスリランカとは紛争に種になってる。
つまりタミル人とシンハラ人というスリランカの元々の民族の人たちと。
それからスリランカの北の方にはインドの南、つまりタミルのところから人が昔から渡ってきてて普通に仲良くしてたんだけど、どんどん政治的対立みたいなものが強くなって一時は中でずいぶん紛争があった。
そういうタミルの人たちというのは、ややトラブルメーカー的な存在になってる。
それは一体何故なのかというとやっぱりイギリスの植民地時代にこの人たちがあえて徴用されたという歴史があるから。

モディー首相が2014年に就任した時にインドの国語教育を見直そうとした。
つまり公用語が20いくつあるし、どうもみんなの標準語は英語という事になってしまってるけど実際第一公用語はヒンドゥー語なんだし、それからインド固有の言葉を本当の意味での国語にしていきましょう。
そして自分たちの失われていったものを取り戻しましょうと彼が言った。
この彼を日本のメディアはヒンドゥー至上主義というけどそういう事ではなくてやっぱり本来のインドを何とか取り戻す。
それを模索しながらやって行こうよという事だったんだけど、これに猛反発してるのがナンなんて全然食べない南のタミルの人たち。
場合によってはインドの中で独立運動が起きるんじゃないかというぐらい激しくそれに対して反発して、結局モディー首相も最初の時の主張もトーンダウンせざるを得なくなって、落ちてきてる。
ただインドの中で、インド人の言語、元々の民族語を大事にしようという動きは当然あって、タミルの人たちにとってみればタミル語が自分たちの言葉で文字も全然違う。
これを今まで当然大事にしてきて学校でも教えてきた。
そのタミル人の中にもヒンドゥー語が出来る人も居る。
だけどそれで学校教育を全部統一していこうという事については「絶対嫌だ」と言っている。

ややもするとそういう「独立運動を起こしてでも」という様な人が出てきたりすると、またほかの国が色々後押ししたりという事をやりかねない。
せっかく今経済的に豊かになろうとしてる流れの中であんまりそういう政治的なディバイドというのはあまり深くはしてほしくない。

イギリスの情報機関というのはアメリカよりももっと分かりにくく密かにそういった色んな国の不満分子とか反対している人たちと接触していろんな話を持ち掛ける。
元々インドと関係が深いし、今でも諜報機関同士の交流がある。
そういう意味では非常に近い存在なんですけど、やっぱり南もどんどん経済発展してるんですよ。
ある種の民族ナショナリズムみたいなもの、それが今後どういう風に動いていくのかがインドにとってすごく重要なところ。
特にナンなんか食べない、一生のうち食べたことも無い人たちが今後インド人としてのアイデンティティーをどういう風にモディー首相を中心とした、つまり北インドにあるインドの政府とすり合わせていくか?
ここにインドの一つの発展の鍵があるという風に考えてます。

僕たちからすればインドは何となく大きな国でみんな一緒の様な感じがあるけど全くそうではない。
ここでもう一つ気を付けなければいけないのは、前にこのブログでアメリカのBlack Lives Matterの事を書いたんですけどその時に例えばアメリカのBlack Lives Matterが保守系の30代の論客を追い出したという話をした時に、そういう人たちを排除するときのキーワードは世界中大体共通してて「多様性をないがしろにするのか」という話なんですよ。
インドでもまさしく同じような事が言われてて、つまりインドというのは多様性を貴ぶことを旨としてきた国じゃないのか?みたいな話がある。
あれだけ大きかったら多様性というより多様なんですよそもそも。
だけどモディー首相が言ってるのは多様性は多様性としていいんだけどやっぱり国としての一つの核、それから国民としての共通基盤みたいなものをきちんと作ろうよという様な話の中で国語教育という事が出てきてるわけだから。
それは多様性とはちょっと違う次元の事として重要だと思うんだけど、そういう事がこういったインドの様に特に民族的な多様性が広く深い、そして植民地時代にそういう事により距離を作らされ、さらに国の中で反主流的だった人達が厚遇されたという様なおかしな歴史もあった。
この複雑な絡み合いの中で果たしてインテグレーション、統合性みたいなものをどうやって作りだし、高めていけるのか?
というのがインドの今後の発展と実は大きく絡む問題なんですね。

あんまり難しい話というのは皆さん好まれないかもしれませんが、日本のテレビが「いや、インド人はほとんどナンなんか食べないんですよ」、「へぇー」みたいな。
で、「南の方の人はお米なんですよ」、「へぇー」みたいな、それで終わっちゃう。
それってどうなの?と思いますよ。
「へぇー、そんなにインドって広いんだ、へぇー、インドってそんなにいろんなもの食べるんだ」、これは悪いけど小学生ぐらいまでで終わりにする話だと思う。
やっぱり日本のマスの例えばテレビなんかはそういう意味では大変な機会損失をしてるんですよ。
日本人にもう少し世界のホントの事情みたいなものをきちんと教えるべき役割があるはずなのに、「へぇー、そんなに広いんだ、そんなに食文化違うんだ」ってそりゃ違うでしょくらいな話で終わりますよ。
そうではなくて、じゃあナンなんか全く食べない人たちはどんな人たちで、それを例えば言葉も違うんです、なにも違うんですと言ったらそこはそこでまた「へぇ、多様なんですね」で終わるんじゃなくてそれはインドという国にとってどういう風な、ポジティブな或いはネガティブな面を持っているのか?
そしてそれは歴史とはどういう風に繋がっているのかという所までもやっぱりきちんと解析する。
そりゃあ僕の説明だって不十分だと思いますよ。
だけど日本国内にだって相当専門家の方も居られるし、やっぱりそういう部分をもう少し知らせていく必要があると思います。
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