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「イスラム国」が勧誘か、拘束の日本人

「イスラム国」が勧誘か、拘束の日本人
この人が行った動機みたいなものをチラッと読んだんだけど「日本での生活に行き詰まり感があった」みたいな。
この人がどういう心持ちであったりどういう状況だったかは分からないんですが、似たようなことが近年にありましたね。
例えば日本人の女性が外国に行って「え?そんな無謀な?」というプランで動いていて、殺される。

やっぱり日本みたいに安全な国って無いんです。
この空気というのかな、これがどこの地平にも繋がってると何か思っちゃってるところがある。
こういう紛争地域に行くという事、「紛争地域っって一体どういうところなんだ?」という想像力が全く働かなくなってるんじゃないのか?

自分が日本社会で満たされないものを全く違う所に行けばどうにかなるという風に思うかもしれないけど、どこにも青い鳥は居ません。
逆に言うと相当不利な、苦難が多いところに身を置かされたとしても、人生至る所に青山ありと言いますから。
日本みたいに恵まれた所に居てどうこうというのはちょっとあまりにも世の中を知らなすぎる。
前の話のユーチューバと同じなんですよ。
ユーチューバーになるのだってそれなりの自己研鑽は必要。
それから日本みたいに色んな選択肢のある社会に居て、もちろん人間だから誰だって問題を抱えて行き詰る事はありますよ。
そのために世界を見てくるというのもいいでしょう。
だけどあまりにも不用意すぎませんか?
思想信条の自由はもちろん当然尊重されてしかるべきですからこの23歳の男性が以前から中東の歴史だとか文化だとかイスラム教のイスラム哲学に関して深甚な興味と関心があってどうしても、万やむを得ない選択肢としてなんとしてもというなら分かりますけど、いやそれも分かってもいけないかもしれないけど、でもそうじゃないですよね?
今世界で最も激しい紛争が行われてるところに行くというのは深甚な興味があるような人であっても「ちょっと今はお止めなさい」という感じの時期です。
だからそういう判断が全く働かなくなってしまっている。

10年くらい前にイラクに日本人の若い男性が行ってあちらで捉えられて首を切られて殺されたという事があった。
あの時も思いましたけど認識というのかな、それがあまりにも甘いどころの話じゃない。
ですから世界を知るというよりも普通に人間が生きて行くうえでは様々なリスクがある。
そういった物理的なリスクは日本はあまりにも少ないのでこの事が日本人そのものを非常に浮世離れした人たちにしちゃってる。

例えばこの人がほんとに心の中で自分がテロリストなり自称イスラム国の戦士になってやろうと思ってるような危険な人物であったとしたらこれも日本の社会にとって非常にゆゆしきことだけど、そんな事も何も無く「行けば何とかなると思った」というような事を言うのも同じくらい深刻で、言いようのない様な危機感みたいなものを感じます。
この人個人を責める気は全く無いです、無いですけど日本の社会がやっぱりどこかおかしくなってませんか?
関連書籍 イスラム国 テロリストが国家をつくる時
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